玄関先で音がする。キーボードを打つ手を止め、イヤホンを外す。重い足取りで玄関に向かいながら、思わずため息をもらす。
「今日もまた、この時間が来てしまった」
そんなわたしの想いを見透すかのように、ランドセルを下ろしながら娘がつぶやいた。
「たしかにママはお家にいるけど、わたしの話は全然聞いてくれないよね」
在宅ママワーカーの「理想」と「現実」
2021年秋。わたしは会議録作成の在宅ワーク(テープ起こし)に追われていた。
2年前のコロナ禍により、自宅で子どもを見ながら働くことができる在宅ワークは、世間でも大きな注目を浴びつつあった。
「在宅ワークなら、家でお子さんの世話をしながら、楽に稼げます!」
しかし、当時のわたしの働き方は、決してそのような理想的な姿ではなかったのである。
毎日、娘を学校に送り出した後、昼食もとるかとらないかで文字を打ち続ける。さらに、子どもが帰ってきた後も、四十肩に痛む右手をかばいながら、ひたすら作業を続行。そうでもしなければ、納期に間に合わせることができなかったからだ。
思えば、娘に「おかえりなさい」と言いたくて始めた在宅ワーク。しかし、仕事に追われるうちに、いつしか帰宅した娘の話し声すらうるさく感じるようになってしまっていた。さらに、それだけ根を詰めて仕事をしても、得られる報酬はほんのわずかだったのである。
「本当にこれが自分の手に入れたい生活だったんだろうか?」
『自分の時間を取り戻そう』という書籍を読んだのは、そんなときのことだった。
本書は、著名なブロガーであるちきりん氏が「ゆとりも成功も手に入れられるたった1つの考え方」というサブテーマで発行したもの。働き方に悩む4人の登場人物の姿を通して、今の時代を生き抜くために、自分の価値観を持ち、自分の時間を適切に管理していくことがいかに重要かが説かれている。
そのうちの一人、ワーキングマザーのケイコが発するつぶやきに、わたしは思わず自らの姿を重ね合わせてしまった。
二人の子どもを育てながら、仕事、家事、育児と、寝る間も惜しんで懸命に働くケイコ。しかし、彼女はちっとも幸せそうではないし、こんな生活を続けていては、やがては健康を損なってしまうだろう。
「でも、ケイコの姿はちっとも他人事じゃない。」
そう思ったわたしは、必死で本著を読み進めた。
生産性アップは働く時間を減らすことから
本書には「生産性の高め方①まずは働く時間を減らそう」という章がある。最初にこの見出しを読んだとき、わたしはキムタクばりに「ちょ、ちょっと待てよ」と思った。
なぜなら、当時のわたしにとって足りていないのは、仕事ができる時間だと思っていたからである。だからこそ、子どもの帰宅時間が迫るとイライラし、フルタイムで仕事に打ち込むことができる夫にいらだちをぶつけていたのだった。
しかし、本著には「生産性を上げるためにはインプットを減らせばいいのです」と書いてあった。
半信半疑ながらも、わたしはついに決断した。
仕事にも家族関係にも追い詰められている今の自分を、何とかしたいとの思いから。
「子どもが学校から帰ってきたら、たとえ作業が途中でも、そこで一日の仕事を終了させる」
このようなルールを作って、実行したのである。
このルールを守るためには、限りある時間でより効率よく働き、お金を稼がなくてはならない。そのためにはどうしたらよいか。
ここまできてようやく
「今のわたしの時給って、一体いくらなの?」
ということに思いが至ったのである。
そこで、自分が手掛けていた仕事をピックアップし、作業時間と報酬金額、さらには文字数や時給を一覧表にしてみた。
その結果、仕事時間のほとんどを費やしていたテープ起こしの時給が圧倒的に低いことが判明したのである。
つまり、わたしが本当にやるべきだったのは、時給の低い仕事を長時間がんばり続けることではなく、より時給の高い働き方を模索し、自らの生産性を上げていくことだったのだ。
生産性アップがもたらした変化とは
「言われたことを一字一句そのまま文字に起こすのは、いずれAIにだってできるようになる。自分にしかできないことをしなくては。」
「わたしにできること。それは文章に『想い』を込めることだ」
それからわたしは、約3年間従事したテープ起こしの仕事を辞め、音声の記事化をメインにしたWebライターとして独立。音声配信をブログやメルマガにコンバートしたり、取材音源を元にインタビュー記事を書き上げるといった仕事にチャレンジしていった。
発言された内容をわかりやすく要約し、普段の発言や著作物などをもとに足りないところを補う。さらには目的やターゲットを考慮しつつ、発言の裏にこめられた想いを代弁する。こうして文字起こしにプラスαの付加価値を加えながら、徹底的に生産効率をアップさせる工夫を重ねていったのである。
加えて、時給アップによって作り出したお金と時間は、新規顧客の開拓やライターとしてのスキルを高めるための自己研鑽に投入した。
本著のこの言葉をかみしめながら。
「フリーランスの世界には、自由を求めて独立したのに単価の安い仕事に追いまくられ、その自由を失ってしまう人がたくさんいる。その一方、限られた仕事を選んで引き受け、適切な労働時間で高い収入を得ている人もいる。自分はそのどっちになりたいのか。答えは自明だった。」
娘の夢、母の夢
あれから2年。庭先で自転車を止める音がする。いそいそと立ち上がって玄関に向かい、玄関チャイムが鳴る前にドアを開けて、娘を迎え入れる。
そして二人でおやつを食べながら、とりとめのない話に花を咲かせる。これが毎日の日課となった。
中学生になった娘はそう遠くない将来、進学や就職のためにこの家を出ていくだろう。いっしょに過ごせる時間が限られているからこそ、こうした何気ない時間を今はなによりも大切にしたい。同時に、彼女の夢を応援できるだけのお金を、この手でしっかりと稼ぎながら。
「生産性の高い生活とは、けっしてドタバタと忙しい、ギスギスした生活ではありません。それは自分の人生の希少資源を、自分自身が本当に手に入れたいもののため最大限有効に活用する、自分の人生を取り戻すための方法論です。」
家族のために毎日必死で働いているつもりなのに、頑張れば頑張るほど、大切な人たちとすれちがってしまう。
今、こんな思いで苦しんでいるかつてのわたしのような人にこそ、この本を読んでいただきたい。
先日、仕事をしているわたしの隣で、娘が言った。
「将来、わたしもママみたいに手に職をつけて、フリーランスとして働きたいな。でも、ママを見ているとWebライターは大変そうだから、Webデザイナーにするわ」。
こんなわが子の成長を間近で見守ることができる働き方と生き方。この本がそれを教えてくれた。